Dear.刺激を求めている人へ

これからの時代を楽しく生きる為に色々と発信してみる事にしました。

このブログ書いてる人のプロフみたいなモノ。

出会いと決断こそが最悪を変える唯一の方法である
 
これまで様々な人達に出会ってきました。
 
現在、2つの夢に向かって日々勉強と実践の毎日を送っています。
1つ目の夢、それは人財共育のトレーナーになることです。
2つ目の夢、それは今任されている事業「ガッコウCAMP」を全国に届ける事。
周りには一緒に笑い合いながら私を支えてくれる仲間がいる。
毎日が刺激的で、とても意味のある毎日を送れていると思います。
 
しかし、今の自分に辿り着くまでいろいろな経験をしてきました。
 
私が2歳の時に両親が離婚して母親に引き取られました。
私の母はとても強い女性で、女手一つで私を養いました。
 
小学校に入ってすぐにいじめに合いました。
小学校5年生の時に私が太っている事で担任の先生に言われた心ない一言により登校拒否になりました。
友達と遊ぶのも怖くなり、家に引きこもりました。
 
そんな弱い私を見て母は私立中学受験を提案します。
なんとか地元の中高一貫進学校に入学することができました。
 
中学高校はとても楽しく過ごす事ができました。
コンプレックスだった体重も中学3年生の時に30kg減量しました。
 
高校3年の時、私には夢がありませんでした。
母親の助言と周りに流されて医学部を受験して見事に落ちました。
滑り止めの歯学部に合格したので、浪人がしたくないという理由で歯学部に進学しました。
 
大学での私はボウリング部に入り、部活に熱中しました。
プロに弟子入りしてまで部活の全国大会で優勝したいと思っていました。
部活に熱中するあまり、本業の学業が疎かになってしまい、大学2年の時に留年しました。
 
1年余分に学費を母に払ってもらう事に罪悪感を感じ、大学を中退しました。
この時初めて母に私立大学の学費を払ってもらっていた重みを知りました。
母は私を叱るような事はしませんでした。
ただ一言だけ私に言いました、「馬鹿だね、アンタは・・・」と。
 
この時、私は初めて母にそれまで育ててもらったお金を返したいと思いました。
 
しかし、何をしたら良いのかわからずとりあえずフリーターになりました。
昼はバイト、夜も夜勤でバイト。
そんな日々を2年間過ごしました。
 
ある時、過労で40度の熱を出し、倒れました。
家で寝ながらもバイトの仕事を心配する僕に母は涙しながら言いました。
 
「あなたはこんな事をしている場合じゃないでしょ・・・」
 
自分の愚かさに改めて気付かされました。
私はいつのまにか目先のお金を稼ぐことに満足していたのです。
 
ここで自分の将来を母に相談した結果、母の
「それでも私はアナタに医者になって欲しい」
の一言で医学部再受験を決意します。
 
医学部受験を決めて勉強を開始した年の夏、私に人生で最大の試練が訪れました。
 
母が末期の大腸がんであることが発覚しました。
 
母からその事実を告げられた時は頭が真っ白になりました。
それまで母に守られ続けて生きてきました。
どうしたらいいかわからず泣き続けました。
 
それまでに出会ってきた人とも自分から連絡を絶ちました。
なぜなら私が当時の状況を話せばみんなに迷惑を掛けてしまうと思ったから。
 
結局、母は大腸がんが発覚してから1年8か月生きましたが、もちろんこの間も私は受験勉強を続けました。
この時の私は完全に世の中を憎んでいました。
それまでの自分の選択によって招いた現状であるのは承知はしていたつもりでしたが
 
「なぜ、僕だけがこんなにツライ目に合わなければならないんだ・・・」
「街中でばか騒ぎしてる奴じゃなくてなんで僕が・・・」
 
受験も落ち続けました。
結局、母は私が医学部に合格した姿を見ることなく亡くなりました。
 
これは胸を張って言える事ですが、私は大のマザコンです。
そんな私は母親に恩返し一つできずに母と今生の別れをすることになってしまいました。
 
母が亡くなった後も勉強し続けましたが、ある時に私の中で何かが音を立てて崩れ落ちました。
このまま受験を続けても無理だ、一生受からない、と思いました。
 
そしてある事に気付きます。
 
今まで、自分の将来について何一つ自分で決断できていないことに・・・
 
その時にただ一つあった思いは「お金が稼ぎたい」という思いだけでした。
そのため普通のサラリーマンになるという選択肢は私の中にはありませんでした。
 
最初は母親の遺産を使って投資に走ったりしました。
 
それからいろいろな人に意見を求めました。
会う人にまた次の人を紹介してもらい意見を求めました。
 
そんな中でたまたま偶然、一人の経営者に出会いました。
その人と話していて僕は素直に思いました。
 
「この人、めちゃめちゃかっけぇ・・・」
 
株やFX、不動産の勉強を始めたばかりの私にその人は言いました。
 
「投資には順番がある。まず最初に自己投資、次に人脈投資、最後がポートフォリオ、不動産だよ」
「だから『投資』を始めるならまずは自己投資から始めなさい、君はまだ何も知らないのだから」
 
僕は何も言い返せませんでした。
なぜなら全くの正論だと思ったから。
そして最後に、実際に800万円の不動産投資を契約する寸前であった私に対して彼は言いました。
 
 
「もし本気で800万を投資する決意があるなら、僕に投資してくれ。そうしたら月に10万のキャッシュフローを生み出せる。」
 
 
こんな人に私もなりたいと思いました。
その経営者の周りにはたくさんの人がいました。
みんな笑顔でした。
私もその一員になりたいと思いました。
 
もちろん最初は戸惑いがありました、今までとは全く違った環境に身を置くことに。
しかし、今の自分を変えたいと思う気持ちが戸惑いや恐怖を凌駕したのです。
私は初めて一人で決断をして、その環境に思い切って飛び込みました。
 
それまでの私が知らない世界がそこにはありました。
そしてそれまで味合わなかった新しい苦労をたくさんしました。
 
睡眠時間を削ってひたすら努力し続けました。
明け方まで先輩方に残ってもらい個別でいろいろなアドバイスを頂きました。
実際に仕事をこなしていく中で幾多の失敗をしました。
その度にさらなる努力をし続けました。
小手先のテクニックで乗り切るのではなく、本物の技量と知識、人としての器を求め続けました。
 
そして現在、研修のトレーナー、事業全国展開への基盤がやっと出来つつあります。
今の私はその経営者と一緒に仕事ができるところまで来ました。
 
 
今となってはあの決断をして大成功だったと思っています。
きっかけは最初の決断でした。
小さなはじめの一歩でした。
 
 
 
そしてまだまだやりたい事はたくさんあります。
未来の日本、そして地球を支える子供達の教育に取り組みたい。
子供たちが夢を見つける手助けがしたい、そして夢を叶える手助けがしたい。
もちろん子供たちに限定はしません、夢に年齢は関係ありません。
私と出会う全ての夢を持つ人の手助けがしたい。
 
どこまででも学び続け、成長し続けます。

 

人との出会いによって私は生かされました。
人との繋がりは財産であり、力です。
今まで出会ってきた人達、そしてまだ見ぬこれから出会う人達全員に感謝します。